2018.12.26 13:22「商船大、ヨット部、そしてヨット」※この記事は神船大ヨット部会報「深江2003」から転載しました。14期E 松見 稔14Eの松見です。同期は4人で、キャプテン前田(N)、マネージャ徳田(N)、渉外〔傷害〕宍戸(N)、そしてノーテンキ松見(E)です、そしてヨット部で同期以外で忘れてはいけない人、ヨットの達人、13Nキャプテン土屋さん[合掌]の名前がここに必要です。 自問自答;なぜヨット部に入ったか? 不明、そこにヨット部があったから、目指すもの、それは海、商船からヨットヘ さて、ヨット部での4年間、インカレヘ、インカレヘで練習に明け暮れし、休日はほとんどなかったが、船乗り気質の仲間たちと海の上で戯れるというようなものが、3K部活をずっと続けられた原動力のような気がします。当時も今もョット部は部員あつめに四苦八苦しているのは同じようですね。ヨット部ではスナイプ”Bellatorix”号に特にお世話になりました。商船大のヨットにはセールナンバーとは別に優稚な船名がつけられていたのは船乗りの心意気でしょうか...
2018.12.26 13:11沖縄海洋博覧会主催「1975年ハワイー沖縄太平洋横断ヨット・レース」 に参加して (後編・・・スタート前からゴールまで)沖縄海洋博覧会主催「1975年ハワイー沖縄太平洋横断ヨット・レース」に参加して (後編・・・スタート前からゴールまで) 1975年(昭和50年)10月5日~11月8日間の航海日誌より(2005年(平成17年)7月 補稿)「ラプソデー・ビバーチェ号」 艇長 蔭山陽三 1. スタートまで 1975年(昭和50年)10月5日 我々レース参加メンバーが乗ったジャンボジェット機は前夜に羽田空港を離陸してから6時間余り、太平洋を飛び続けその機首をハワイ諸島の西の方から徐々に高度を下げつつホノルルに着陸する姿勢に入った。海図で知っているニイハウ島が先ず目に入る。此処は昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦の日真珠湾奇襲攻撃の時に被弾した日本の戦闘機の1機が不時着し、同島に住んでいた若い日本人夫婦に救助された後、原住民に奪われた暗号表を取り返すべくその夫と2人で切り込み力尽きて2人共自害した島であることをTVのドキュメンタリー番組で見て知っていた島だ。時...
2018.12.26 13:10沖縄海洋博協会主催「1975年ハワイー沖縄太平洋横断ヨット・レース」に参加して(前編‥・準備からハワイヘ船出まで)沖縄海洋博協会主催「1975年ハワイー沖縄太平洋横断ヨット・レース」に参加して(前編‥・準備からハワイヘ船出まで)1975年(昭和50年)10月5日~11月8日間の航海日誌より(2005年(平成17年)7月 補稿)「ラプソデー・ビバーチェ号」 艇長 蔭山陽三1.はじめに 昭和45年10月当時 高砂熱学工業㈱大阪支店に勤務していた社員5名と、関西のアマチュア・ヨットマン8名は「高砂ヨットクラブ」の所属艇「ラプソデー・ビバーチェ号」にて表記の国際ヨット、レースに参加致しました。 全航程8,631海里、約16,0 0 0キロメーター、全所要日数1 0 2 日の大航海でした。(但しレースのみの航程は約8,000㎞、所要日数26日余)昭和50年8月5日ホームポートの和歌山県大崎港を出航してから11月15日帰港するまで、凡て自力航海によるものでした。 レース結果は着順2位、1着のアメリカの64フート大型艇、有名な「SORCERY号」と修正時間で約40分の遅れでした。本編はこのレー...
2018.12.26 13:08ラプソデイ ビバーチェの航跡ラプソデイ ビバーチェはOB会メンバーの蔭山陽三氏(1958年・神船大卒)が永年乗り続けた48フィートのスチールハルのヨットで、その航跡はハワイー沖縄レースへの参戦など太平洋に広がっています。以下は、蔭山陽三氏がまとめられたハワイ~沖縄太平洋横断ヨットレースの記録 前編…準備からハワイ回航まで:2011/3/6 掲載 (約7,500文字) 後編…スタートからゴールまで:2011/3/21 掲載 (約26,00文字) さらにクルーとして活躍された松見稔氏(1969年・神船大卒)の「商船大、ヨット部、 そしてヨット」を2011/3/21に掲載しました。(約5,000文字)
2018.12.26 12:57深江50周年記念号 神戸商船大学ヨット部OB会誌「深江2003号 OB会50周年特集」号、その一部の記事を掲載致します。 この号は50周年記念号であるとともに、神戸商船大学ヨット部OB会誌としての最終号になって、この後少し時間をおいてですが、神大ヨット部OB会と神船大ヨット部OB会は統合されて一体になりました。1. 表紙
2018.12.26 12:51南西風 40周年記念号神大ヨット部創部20周年を記念して昭和56年(1981年)9月に発行された「南西風」MAZEの一部を紹介しましたが、今回は2001年7月に発行された「南西風」MAZE、創部40周年記念誌の記事の一部を掲載致します。1. 表紙
2018.12.26 12:38南西風 20周年記念号神大ヨット部創立20周年を記念して昭和56年(1981年)9月に発行された「南西風」MAZEの一部を掲載致します。 なお、本誌の中の原文は縦書きですが、ここに掲載するに際し、収まりの良い横書きに変換して掲載しております(事務局より)。1.表紙
2018.09.09 11:21全日本選手権大会出場レポート練習の成果が実り、今シーズンは地区予選を突破して以下の全日本大会に参加しました。 (2018/9/9掲載) 全日本470選手権大会:8月20日~26日:江ノ島 全日本スナイプ選手権大会:8月22日~26日:小戸・福岡県全日本学生個人選手権大会:8月29日~9月2日:若洲・東京都それぞれの参戦記を全日本470は野口海渡さん、全日本スナイプは矢野海渡さん、全日本個人は470を中尾友海さん、スナイプは同じく矢野海渡さんから寄せられましたのでそれぞれの箇所をクリックしてご覧ください。
2018.09.07 10:002018 年度全日本学生ヨット個人選手権大会 報告書 470 リーダー 中尾 友海1. 成績 470 級(全 55 艇)全 8 レース 27 位 4623 野口(3)・中尾(4) 20-25-25-(BFD)-33-21-40-8 2. 成績について 今回のレースは学連レースとしては初めて東京の若洲沖で開催されました。レース海域は荒川と江戸川の流域に当たるうえ、東京湾の湾奥であり潮が非常に複雑かつ強く南風では右海面の端に出せば川からの流れに押される形になるので非常に伸びるという特徴がありました。私たちはレース前に支援艇で潮を計測したり、他大学と走り合わせたりすることでその傾向を他校よりもいち早くつかむことができていたと思います。そ の結果レース前日のプラクティスレースでは 8 位をとることができました。しかし、全 日本インカレレベルにもなると他の選手も右海面が圧倒的に有利という傾向をレース結果などからすぐに掴み取り、スタートでいか本部船寄りからスタートできるかが勝負の分かれ目になるようになりました。自艇も右海面を目指すために本部船寄りからスタ...
2011.03.06 13:46時の話題:#1 オーストラリアレース参戦記 2011/3/6 掲載オーストラリアでのレースに参戦した前主将の土井航平さんからメールが 届きましたので写真と合わせて掲載します。 天野様新OBの土井航平です。このたび、オーストラリアにヨット遠征に行ってきました。Foundation36という船でのマッチレースで、かなりレベルの高いレースです。今回は日本人3人、オーストラリア人3人のチームでした。期間中に2つのレースに参加し、とても貴重な体験をしました。以下にリンクしているサイトにヘルムスの吉田のレポートが掲載されています。http://bulkhead.sblo.jp/article/42801604.htmlhttp://bulkhead.sblo.jp/article/43188163.htmlよろしかったらヨット部OBのHPへ掲載していただきたいと思います。