南西風 20周年記念号

神大ヨット部創立20周年を記念して昭和56年(1981年)9月に発行された「南西風」MAZEの一部を掲載致します。

 なお、本誌の中の原文は縦書きですが、ここに掲載するに際し、収まりの良い横書きに変換して掲載しております(事務局より)。

1.表紙

2.創刊に際しての当時のOB会・会長 高田克明氏のご挨拶

 歳月はまことに足早く、神戸大学ヨット部創立より早や二十周年を迎える

こととなった。OB百余名、現役二十余名の組織、数々の戦績は、西宮水域で

名実ともに伝統校に数えられる。

 OB・現役よりヨット部活動の記録、思い出を伝える部誌発行の声はかねて

より強く、関係者の尽力も一方ならぬものがありながら意を達するに到らなかった。

 今回部創立二十周年を迎え、部誌「南西風」を発刊できたのは、佐々木、宮下

両先生はじめ、OB現役各世代よりの積極的御投稿と、二十周年記念行事実行

委員諸氏の熱情によるものと、心から感謝し、ともにこの発刊を喜びたい。

 練習の泣き笑い、熾烈なレースの戦いの記録・・・回想、現況、そんな投稿で

誌面は充実した。

 これを創刊とし、今後ヽ現役OB交流の小誌として末永く継続するよう念じて

やまない。

 おわりに、神戸大学ヨット部創設者で今は亡き、故辻成典君の御霊前にこの

小誌を捧げ、謹んで哀悼の意を哀します。

   昭和五十六年九月

             神戸大学ヨット部OB会 会長 高田 克明

3.佐々木部長の寄稿文

ヨット部20周年の想い出と希望

      ヨット部長 佐々木 誠治

① 創設当時の想い出

 「自分たちは、神戸大学にヨット部、さしあたってはヨット同好会を是非

作りたいと考え、そのための具体的行動を開始しようとしているのですが、

そのためには、顧問ないし部長の先生が必須条件のひとつです。ヨットは唯一の

海のスポ―ツであることと、先生が現在神戸大学で唯一の海(海事経済)の専門

学者であることとから、この際、部長を引受け、われわれの設立運動を援助して

いただきたい」という論法で私を口説きおとし、引っ張り出しにきた故辻式典君・

青木豊和君・高田克明君・野田昌嗣君ら37年卒業組の諸君との出逢いが、私を

ヨット部と結びつけることになったのだが、これら諸君の熱意・行動と思考は、

私にとって、生涯忘れぬ想い出であるとともに、この機会に特記して後続ヨット

部員全員が永遠に記憶し、又、折にふれ想起してほしいことがらである。

 上記諸君は、凌霜の諸先輩や海運関係の諸企業に対する募金活動はじめ、部

創立のための各種雑用は、できる限り自分たちと一年下の宮下君とで担当し、

清水(雄)・戸嶋・渡辺君ら40年卒組の当時のいわゆる新入部員たちには

もっぱらヨット技術の習得練磨を期待し、指導した。艇に乗り、練習したい筈の

自分の慾望を制し、後進にその機会をゆずるということは並大抵の人間のできる

ことではない。彼等の努力が実り、西宮の浜に、はじめての:目分たちの

新艇4隻が浮べられたとき、これを喜ぶ全部員のなかでも、4人の喜びはひとしおの

ものだったにちがいない。そして、私は、この4人のOBの行動と思想から、

得がたい教訓を受けたことであった。

② 大学紛争時のヨット部の活躍ぶり

 いわゆる大学紛争の嵐が、昭和44年から7年間にわたり私を研究所長兼評議員の

激務に追い込み、ヨット部の年中諸行事に参加する機会さえ困難にした。

この当時、騒ぎまわる全共斗系や代々本派の学生および一部教職員の動きとの関連から、

運動部学生に対する期待が学内でつよまっていた。

 私も、正常な授業・試験すら期しがたい本学々生諸君にとり、せめて、大学生活の

想い出と収穫として、どの部かの運動部の活動・体験が有意義だろうと確信したし、

それだけに、接しにくくはなったものの、ヨット部の諸君の自覚および奮斗により

多くを期待したことであった。

 当時のキャプテンやマネージャー諸君には、勉強ができなくなった分だけ、部活動で

頑張ってほしい旨、再々要望した。

 この結果であろうか、紀野君・熊川君・清水(英)君ら45年卒組の手で全日本

第三位入賞の成果を挙げたときは、非常に嬉しかった。

 当時の戸田学長や学生部長に、大いにわがヨット部はと、自慢したことであった。

 この好成績を幾分下まわるとはいえ、昭和50年9月淡輪での全日本戦でも、たしか

綜合8位の成績をあげた。偶々、この大会の会長として優・入賞の旗や賞状を授興する

壇上に立って、わが校ヨット部にも渡すことができて嬉しい想いであった。

 気合いを入れてやるならば、大学に入ってから覚えたスポーツであっても、叉、

いわゆるスポーツ名門校でなくっても、堂々と、上位入賞できるんだという実績を示し、

そのための努力の大切さと部全体の協力の必要性やそれらを通じての大学時代の良き

想い出の意義、等々色々な教訓に富むできごとであり、時期であった。

③ OBとの、又、ヨット以外のスポーツを通しての交流の楽しみ

 ヨット部長20年の経歴をもつにせよ、実は、私はヨット実技は空っきし駄目である。

ヨット競技の何処に面白さがあり、どんな難しさがあるのか、全くわからない。

 その限り、現役部員やOB各位とヨット談義することはできない。いわば素人の悲哀を

感じることも多い。ところが、20年余の年月は、最近にいたって、私がOB諸君と

スポーツの実力競争で楽しみ合える機会を可能にした。OB諸君の相当数がゴルフを覚えて

くれた結果である。

 ヨット部長就任を口説かれた当時においてゴルフ部なら兎も角ヨット部はねといった程

私のゴルフは一応年期が入っており、オフィシャル・ハンディ11も世間では相当なものと

自負している。私たちの場合と異なり、最近のゴルフ熱、若い人のゴルフ習得の影響から

ヨット部OBもだんだんゴルフを楽しみだしたようで、そのうち、実力で私をやっつける

ものも現われることであろう。

 関西では春秋2回、東京でも小生の上京時に、OB有志と一緒にゴルフができ、同じ

スポーツを楽しみ、又、それを通して歓談できるようになったのは、非常に嬉しい。

あとしばしで神戸大学を退官しても、ゴルフは終世つづけるつもりであり、機会ある毎に、

OB諸君とプレイできる楽しみをもてるのは、ヨット部長になった余徳といえよう。

 今後とも、より多くのヨット部OBがゴルフで私に挑戦しつづけ、それによって、

私に絶えず神大ヨット部を近づけてくれることは切望する次第である。

                  (経済経学研究所教授、元所長)

神戸大学ヨット部OB会

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