神大ヨット部創部20周年を記念して昭和56年(1981年)9月に発行された「南西風」MAZEの一部を紹介しましたが、今回は2001年7月に発行された「南西風」MAZE、創部40周年記念誌の記事の一部を掲載致します。
1. 表紙
2.佐々木誠治先生のご寄稿 : 1-1、1-2ページ
「部誌名の”Maze”と「西郷まぜ」とのつながり」
佐々木 誠治
現OB会長の冨田高軌君から彼独得の難しい書き方の文字でヨット部40周年記念部
誌への寄稿依頼状がきたので、早速何かのヒントを得るかも知れないと前回の記念誌を
探し出したところ、果しなくも、私が自筆で次回寄稿のさいには「西郷まぜ」について
解説すべしと書き入れていた。 よって標題のテーマで少々書いてみよう。
私が何故「西郷まぜ」について次回寄稿と言う書き込みをしたかというのは、その2
0周年記念の時に創刊されたヨット部の部誌名がもしちがっていたら書き込みなどする
筈はなかった。 それだけ、南西風Mazeと言う部誌名だと言うことを知った際の私
の驚きというか、不思議な想いと強い印象があったことを憶い直し、私とヨット部との
つながりの一層の深さを想い出すことでもある。
ヨット部の部誌が20周年記念の時に創刊され、且つその部誌名が「南西風Maze」
であったのは、その時の部誌編集委員会を構成した当時のOB会長高田克明君外清水雄
二君、中嶋義昭君、上村豊君、藤井孝美君の5君の相談・協議によるものだろうが、こ
れら諸君の誰からも・部誌名は「南西風Maze」にしますとか、しましたとか連絡さ
れたことはなく、未だに、誰の発案だったか、又何故その名前を選んだかを理解してい
ない。ただ、その誌名を知った時、私の頭には、直ぐ”西郷まぜ”の事と直感され、ど
うしてその”まぜ”がMazeのローマ字となって部誌名の中に取り入れられたか不思
議でならなかった。 同時に、編集委員の諸君も、他のいわんや「西郷まぜ」は私の頭、
私の海運研究の中に入り込み、忘れがたい名称・表現のひとつとなっていることを知ら
ないに違いないと思われた。 そして、部誌名となった以上は、初代部長の想い出の”
西郷まぜ”が南西風Mazeとなっていることも是非覚えておいて欲しいと思った次第
である。 たとえヨット部創立時以来の知り合いの学生であったとしても、高田君や清
水(雄)君らは、私の授業・講義と無関係の学部であったし、私の研究テーマなど全然知
らないOBである筈。 何故彼等が私の研究に深いつながりを持つ「西郷まぜ」という
「風に呼称」を覚えたのか深くは判らぬが、多分ヨット部員となり、また私と知り合っ
てヨットを西宮沖で習ったためであろうと思う。それ自体不思議な縁である。
さて本論の”西郷まぜ”について簡単に説明する。私が「日本海運業の近代化課程」を
研究するため各種多数の本を読んでいたとき、偶々自ら帆船船員として船乗り生活に入
り、のち汽船の船長にまでなった海運入の川野宗太郎氏が「自伝」の中で明治初期の海
運変化を物語る文章としで西郷まぜ”表現・呼称の存在と役割を述べているのを知っ
たときが最初である。時期的には、私が神戸大学に着任した後の昭和30年(1955)
頃で、ヨット部創設より少し前の頃であった。 「こういう次第で西南戦争は我が海運
界に革新の刺激を与えたものである。」という同書の叙述部分は今でもよく憶えているし、
まこと卓説というべき見方だと感銘したことである。そして、私の研究上に大きなヒン‘
卜を与えてくれた。けだし、私の「日本海運業の近代化研究」中における船舶の近代化
過程の特徴である「大和型帆船 → 西洋型帆船 → 蒸気船」の2段階移行・発展過
程の前半たる『大和型帆船へ』を決定づける根拠となったからである。 その意味で私
には忘れがたい名称となり、研究に取り入れられたものとなったわけで剋る。
それは、明治10年(1877)に起こった西南戦争の最中に瀬戸内海全域で吹き荒
れ、帆船中心の当時の海上輸送を大混乱させて古い船舶ではもはや駄目だと言うことを
実施体験させた南西風のことである。例年の季節風と違い 3ヶ月の長期にわたって猛
烈に吹き、ほとんどの帆船を港に閉じこめ、民需物資・軍需品両輸送とも、大打撃をう
けたもので、同戦争の悲劇の主人公西郷隆盛ものすごい抵抗力の現れか 等と言われて、
彼の名にちなんで特に「西郷まぜ」とよばれたものであるということは多くの説明を必
要とすまい。
わが国当時の全交通・輸送の担い手であった昔からの、古い帆船「大和型帆船」はすべ
て航行できず、風待ちを続けざるを得なかったのに、蒸気船と一部先進的に採用されは
じめた西洋型帆船は、その強風の中でも航行できる。 それをわが目でみて、わが国の
船主・海運業者も否応なく船舶の近代化、新しい船舶の採用に乗り出すきっかけとなっ
たわけである。
このように、海運業の発達過程の重要な転機を成し、私の研究上忘れられぬ存在・役割を
果たしている”西郷まぜ”につながっている南西風Mazeが、同時に私にとり忘れられ
ぬ神戸大学ヨット部の部誌名となっているとわかれば、多分ヨット部OB諸君も、
この拙文の意味を理解してくれよう。 この部誌名を選んでくれた20周年記念時の編
集委員諸君の英知をたたえ、感謝しつつ40周年記念号への寄稿責任を果たすこととする。
2001年5月25日
4.宮下国生先生のご寄稿 : 3ページ
ョット部創立40周年をお祝いして
顧問教官 宮下 国生
ョット部が創立40周年をめでたく迎えることとなり、心よりお祝いを申し上げます。
創立時の部員の方も還暦を迎えられるまでになり、いまやその方々のご子息やご令嬢より
も若い世代が部を動かすまでになっております。時代は変わっても、ヨットを愛し、そこ
に青春を託そうというクレバーでエネルギッシュな若者遠がいることに、私は日本の将来
への希望を強くするものです。この間お付き合いした部員の皆さんは、先輩OBの方々の
優れた点を連綿として摂取して、ますますレベルの高い人間性とチャレンジ精神を育成さ
れたことに敬意を表したいと思います。
私とョット部の接点は、初代の顧問教官で、まさにファウンドラーと呼びうる佐々木先
生から17年前に後任を引き受けるように声をかけていただいたことに尽きます。
ニの間、佐々木先生の薫陶を受けられた歴代会長さん、監督さん、役員の方々をけじめ、
OB会の皆様がョット部の隆盛を支えてくださったことに深い感謝の意を表したいと思
います。 ョットには全くの素人の私が知らぬ間に17年もクラブにかかわってこられた
のは、研究を通じて常に佐々本先生のそばに居れたことと、OBの方々が一丸となって幾
多の困難を乗り切って下さったこと、またよき現役諸君に恵まれたからです。
特に、震災による艇庫の破壊と移転については、神戸大学と艇庫の地主である兵庫県の
間に立って、献身的な努力を払われたOBがおられたことを皆様にお伝えしたいと思いま
す、またその折の現役諸君の凛として神戸大学当局との交渉に望んだ態度も立派でした。
ニの地元での地道な努力が、それと平行して大阪大学と文部省の問で行われていた艇庫再
建交渉を促進させ、ついに両大学の新艇庫を全額国費によって共同建設するといううれし
い知らせが屈いたのです。その折の艇庫新築記念式典では、会長さんはじめOBの方々が
一致団結されて、大阪大学に勝るとも劣らぬバックアップをしてくださいました。
改めて厚くお礼を申し上げます。
神戸大学のョット部の歴史は、他大学に比べて長いものではありません。 まだ40歳に
なったところです。これからもまだまだ楽しい成長期が続きます。 OB会の皆様にはそ
れに期待を込められて、若者遠の更なる挑戦を応援してくがさるようお願いいたします。
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